呻吟語に書かれている内容で、はっとした言葉を遺訓継承を含めて紹介します。
人生は常に悩みが伴うものです。そんなとき参考になるのが古典です。なかでも私がよくはっとした古典があります。
そこで、
と関心をお持ちの方に向けた内容です。
それでは、以下にはっとした言葉を紹介していきます。
呂新吾とは
明王朝の万暦年間に活躍した位の高い官僚であり、その高官の名前で呂新吾(ろしんご)です。
呻吟語とは人間関係における病気に苦しんでいるうめき声
呻吟(しんぎん)とは病気に苦しんでいるうめき声という意味です。病気になったときの苦しみは病気になった者だけが知っています。でも病気が治るとその苦しみをすぐに忘れてしまいます。
呂新吾は社会生活や人間関係のなかでいろいろな壁にぶつかり、自分を厳しく見つめながら日々の迷ったこと・悩んだこと・反省したことを忘れないように約30年間に渡って記録し、それをいつも身に付けて自分の常備薬としました。その書物が呻吟語(しんぎんご)である言われています。
人間について
心の中から偽を取り除く
心から人々のために尽くしていても、感謝されることを期待する気持ちが少しでも混ざっていれば偽奉である。
心から善を行っていても、それを他人に知られたいという気持ちが少しでも混ざっていれば偽善である。心では9割しか達成していないと思っているのに外に向かっては成し遂げたように見せかけるのは偽勢である。
このようなことは自分だけが気付いている偽である。
私はこの偽を自分の中から取り除くことができていない。
やがて偽が自分の中で広がっていき、言葉や行動にも蔓延してくるのではないかと恐れている。
呻吟語
童心を捨て去る
一人前になるための最も大きな障害になるのが童心である。
この童心を捨て去ることができれば、それだけで立派な人物になることができる。
童心とは何かと尋ねられたので私はこう答えた。
激しい競争心、人を見下す心、華美にあこがれる心、焦り苛立つ心、浮ついた心、名誉を欲しがる心
これらは全て童心である。
呻吟語
肝心なのは気力
君子は気力を養わなければならない。
気力が衰えると、事を成し遂げることはできない。
冉有は感心な気力が欠けていた。
呻吟語
冉有とは孔子の弟子で、あるやりとりを引用しています。
あるとき、冉有が孔子に訴えました。先生が説く道が納得できないのではありません。余りにも高遠過ぎて力が続きません。
これに対して孔子は、力が続かないというのであれば、途中で倒れるはずではないか。それよりも自分で勝手に限界を作って、無理だと思い込むことがいけないのだ。
論語
正しい道はただ一つ
正しい道はただ一つである。だが、意見は常に百出する。議論ばかり活発になれば、正しい道はどんどんかすんでいき、事は失敗に終わる。
呻吟語
欲望の限界
人の欲望には窮まりがなく、人の活力には限界がある。限りある活力で窮まりない欲望を満たそうとしても無理である。挙句の果ては、精も根も使い果たし身を滅ぼしていく。
呻吟語
斉の桓公が管仲に尋ねた。欲望の限界はあるのか。
史記
すると管仲は答えた。水の限界は水がなくなることです。欲望の限界はそれに満足することです。ですが、人はそれに満足することはありません。やがて身を滅ぼします。そのとき欲望の限界を知ります。
修養について
切れ味は内に秘める
鋭い切れ味は十分に磨いておかなければならない。だが切れ味は内に秘めて、おっとりと構えている必要がある。昔から禍を被るのは十人のうち九人は切れる人物であった。おっとりとしていた人物で禍を被ったのは一人もいない。ところが今の人はひたすら切れ味を磨き、それをひけらかしている。いずれ身を亡ぼすことになるだろう。
呻吟語
過ちを指摘されたら喜べ
自分の過ちを指摘してくれるのは、必ずしも過ちがない人とは限らない。過ちの無い人に過ちを指摘して欲しいと思っていたら、生涯に一度も自分の過ちを耳にする機会はないだろう。相手がどんな人であろうと、過ちを指摘してもらえるのはありがたいことだと思わなければならない。相手に過ちがあろうとなかろうと、そんなことを気にしている暇はない。どんどん、自分を向上させていくことだけに気を遣うべきである。
呻吟語
重要なのは人格形成である
広く学問を窮める、素晴らしい技術を身に付ける、これはこれで1つの長所である。
学問では班固や司馬遷、書道では鍾繇や王羲之、文学では曹植や劉楨、詩歌では李白や杜甫、これらの人々は昔から広く名を知られている。
しかし所詮、小さな学芸に過ぎない。重要なのは、立派な人格の形成である。
呻吟語
人生を充実させる4つの心得
貧しいからと言って恥じることはない。恥ずかしいのは貧しくて志がないことである。
地位が低いからと言って卑下することはない。卑下すべきは地位が低くて能力がないことである。
老いたからと言って嘆くことはない。嘆くべきは老いて目的がなく生きていることである。
死を迎えるからと言って悲しむことはない。悲しむべきは死んだ後、名を忘れられることである。
呻吟語
人格を高めるには
人を責めない。これが自分を向上させる第一の要点である。
人を理解する。これが自分の器を大きくする第一の要点である。
呻吟語
言葉や顔色を和らげる
私(呂新吾)は、つまらぬ相手に言葉や顔色を和らげることができなかった。相手によっては、それに堪えかねる者も居たようだ。それを見た友人の王道源が、心配してこんな忠告をしてくれた。
今、官職に就いている者は、このことをしっかりと肝に銘じていたい。つまり法律や制度は朝廷が定めたもの、財貨は人民が生み出したものである。これには人情をはさむ余地は全くなくて良い。だが言葉や顔色は自分でどうにでもできるものである。いささか和らげたところで何の害があるだろうか。
私は深く感じ入った。そこで、このことを記録して今までの態度を改めたいと思う。
呻吟語
処世について
人と争わない
呻吟語
私は50歳になってから5つのことで、人と争わないことの妙手を悟ることができた。そのことについて、人から尋ねられたので私は答えた。
資産を蓄えている人とは、富を争わない。
功名を逸る人とは、地位を争わない。
上辺を飾る人とは、名声を争わない。
傲り高ぶっている人とは、礼節を争わない。
感情的な人とは、是非を争わない。
塩梅が良い基準
呻吟語
人情はいつの時代でも変わりがない。君子は人情が無軌道に流れることを心配し、塩梅が良い基準を定めて目安とした。
法を施行する場合、あまり偏ってはならない。
礼を制定する場合、厳し過ぎてはならない。
人を責める場合、洗い浚いほじくり返してはならない。
そうすれば君子の定めた道に合致することができるだろう。
そうしなければ、いたずらに相手を反発させるだけである。
愛情と憎しみの分かれ目
呻吟語
昔の人は、人を愛する気持ちが強かった。近頃の人は、人を憎む気持ちが強い。
人を愛するがゆえに、私の言うことに耳を傾けて 、人は教えを実践してくれる。
人を憎むがゆえに、人は投げやりになり、私の言うことを益々、受け付けなくなる。
最後に
20歳代の頃、ひたすら繰返し読んでいた古典が、40歳代になって意味が少しは分かるようになってきました。
議員となった今、古典を読んでおいて本当に良かったと思います。
今後、少しずつ書き足していきますので、またお越しください。