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知らなかった名和商栄講の豊川稲荷秋季大祭参詣御奉仕

 

令和元年11月17日、日曜日に名和商栄講の一員として豊川稲荷の秋季大祭に参加しました。

そこで、

名和商栄講とは何か。豊川稲荷とはどのような関係があるのか

と関心をお持ちの方に向けた内容です。

それでは、以下に名和商栄講と豊川稲荷の関係について説明していきます。

 

豊川稲荷について

 

秋季大祭の豊川稲荷の奥の院

豊川稲荷は正式名称を宗教法人 豊川閣妙嚴寺と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。

 

秋季大祭の豊川稲荷の境内

一般的に稲荷と呼ばれると狐を祀った神社を想像されると思いますが、当寺でお祀りしているのは鎮守・ 豊川吒枳尼真天 (とよかわだきにしんてん)です。

 

秋季大祭の豊川稲荷の霊狐塚

豊川吒枳尼真天が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか豊川稲荷が通称として広まり、現在に至っています。

 

豊川稲荷秋季大祭について

 

秋季大祭の豊川稲荷の屋台

 

豊年じゃ祭

秋季大祭の豊川稲荷の中提灯

毎年11月22日、23日(新嘗祭)に通称「豊年じゃ祭」と言われる大祭が開催され、五穀豊穣に感謝し、商売繁盛・国家安泰・万民豊富を祈願する祈祷会が行われていました。現在では、11月の第三土曜日・日曜日に行われ、令和元年は11月16日(土)・17日(日)でした。祭の行列は350年の歴史を伝えています。

秋季大祭の豊川稲荷の大提灯


歴代の御神輿と尾州商栄講について

 

秋季大祭の豊川稲荷の御神輿

 

初代御神輿は

文政5年(西暦1822年)尾州商栄講の寄進による記録がありますが、保存されていません。現存する御神輿は本殿左の神輿蔵に展示されている3代目・4代目神輿の2台のみです。

 

3代目御神輿は

昭和5年に春大本殿の落成の際、寄進したもので重量が約1.5トンもありました。

 

4代目御神輿は

豊川閣と尾州商栄講で費用折半にて昭和45年に新調しています。担ぎ手に掛かる負担も大きく、渡御行列に難儀することもあり、現在は重量約1トンに軽量化した4代目御神輿で神輿渡御を行っています。

 

尾州商栄講とは

新納帳には、大正元年から現在まで記録されており、それ以前のことは不明です。(昭和19年~21年は無記録)それによれば、参集地域は愛知郡(春木・福田・沓掛・徳重・八事)、名古屋市南区(傳馬新田・大江新田)、大府市、知多北部、他等と記されています

現在、尾州商栄講の担ぎ手奉仕は秋季大祭の2日目である本祭に東海市(加家商栄講・平島商栄講・名和商栄講)の3講が毎年、観光バスをそれぞれ仕立て130~140名が参詣御奉仕しています

近年、担ぎ手の減少により講だけでなく、豊川稲荷奉賛会、陸上自衛隊豊川駐屯地、豊川商工会議所青年部などの有志が担ぎ手を努めてくださっています。なお、参詣はされませんが前之輪講(旧丸地組)より代参礼受(福寿円満札70体)を申し受けています。以前は大高組と共に参詣奉仕記録があります。

 

名和商栄講の危機

実は昨年、参詣される方の高齢化により解散の危機が訪れましたが、歴史ある名和商栄講を絶やしてはならないという有志の方々によって存続することできました

東海市に約40年間、住んでいますが、東海市と豊川稲荷のご縁、そして尾州商栄講、名和商栄講のことを全く知りませんでした。

このような歴史がある伝統文化をしっかりと子供達に引き継がなければなりません。微力ですが、私もできることをしたいと考えています。

 

参詣御奉仕について

秋季大祭の豊川稲荷の御神輿を担ぐ前の点心

豊川稲荷に到着して、まず軽食である昼の点心をいただきました。

 

秋季大祭の豊川稲荷で御神輿を担ぐ前の御神酒

御神輿を担ぐ前に、法被に着替えて力酒(御神酒)と口取りもいただきました。

 

秋季大祭の豊川稲荷で担ぐ御神輿

 

秋季大祭の豊川稲荷本殿に向かう御神輿

御神輿が鎮守堂から本殿の中まで渡御して、本殿内で大祈祷会が行われます。

 

秋季大祭の豊川稲荷の御神輿を担いだ後の本膳

式典後に点心(本膳・御神酒付)、御礼、そして御供餅の御下がりもいただきます。

 

最後に

本当に良い経験をさせていただきました。

この名和商栄講のことをもっと知っていただいて、稲荷秋季大祭参詣御奉仕に参加していただける方を一人でも多くしたいと思います。

今後毎年、参加していき、名和商栄講の存続に力を入れていきたいと思っています。