平成26年7月30日(水)から7月31日(木)まで自由民主党愛知県支部連合会青年局の視察で福島第一原子力発電所事故で被災した福島県川俣町、福島復興本社になったJビレッジに伺いました。
そこで、
と関心をお持ちの方に向けた内容です。
それでは、以下に状況の説明をしていきます。
いざ福島県へ
郡山駅からバスに乗り換えて福島県伊達郡にある川俣町役場へ向かいました。
川俣町といえば、川俣シャモが名物ですので親子丼をいただきました。
川俣町役場に到着
川俣町庁舎に到着しました。
古川道郎町長にお越しいただきました。
町長から川俣町の状況をお聴きし、一刻も早く避難指示を解除できるように尽力すると力を込めて強調されていました。
放射性物質の除染作業
山木屋地区の復旧に向けて毎日、除染作業が続けられています。
除染作業とは地表から深さ約30cmの土を削り取り、袋に詰める作業です。
道路脇には除染作業中というピンク色ののぼりが立っています。
道沿いの至る所に黒い袋があり、放射線汚染土を詰めたフレコンバッグです。最終処理場が決まっていないため無数のフレコンバッグが仮置きされ、袋の多さに驚くと同時に途方もない作業だと思いました。
東日本大震災の映像で地震や津波で建物が倒壊し、まちが跡形もない光景のよく目にします。しかし、この地区はそのような光景はなく、普通の生活がそこにあるように見えます。
これが目に見えない放射性物質との戦いだと思いました。
山木屋地区の仮設住宅地
たくさんの仮設住宅が建っていますが、夜間照明があることにお気付きでしょうか。
ここは元々、野球場でした。
仮設住宅地のなかにはコンビニエンスストアもありました。
自治会長さんの山木屋地区への想い
山木屋地区の自治会長さん曰く、
山木屋地区に住んでいた3割の方は地区外に出ていき、3割の方は戻るかどうか迷っている状態です。でも、いつかみんなが戻る日のことを考えた、まちづくりを進めていきたい
と、避難生活がいつまで続くか分からない不安な状況にも関わらず前向きな姿勢がとても印象的でした。また、この地区に残る者としての使命感も感じました。
おじまふるさと交流館へ
本日の宿泊地であるおじまふるさと交流館に伺いました。
東日本大震災発生時に、ここは避難所になりました。
日本語が解らない外国人の方やペット連れの方の対応に苦慮したという経験談を話していただきました。
福島復興本社が置かれたJビレッジ
Jビレッジとは、平成9年に福島県双葉郡楢葉町(ならはちょう)と広野町に広がっており、サッカーなどのスポーツトレーニング施設として開設されました。
ここで廃炉に向けた、いろいろな対策が講じられています。主な対策としては溶けた燃料の回収と汚染水の処理です。
燃料の回収についてはまだ炉内を確認できていないのでどうやって取り出すか、まだ計画段階で煮詰まっていません。
大量の地下水が発電建屋内に流入しているため、汚染水が毎日約400tも発生しています。
この汚染水の発生量を減らすためにいろいろな対策が検討されています。
対策案としては
震災で機能を失っている井戸(地下水をくみ上げる設備)の復旧
地下水の流入を抑制する凍結管を埋めて氷の壁をつくる
海側への流出を防止する遮水壁の設置
汚染水浄化処理量増強に向けてALPS(多核種除去設備)の増設
今後、平成33年までに溶けた燃料を取り出し、その後20~30年で更地にすることを目指しています。
福島復興本社で働いている方々の駐車場となっていますが、平成32年に行われる東京オリンピック前には福島県に返還する計画が進められています。
最後に
ネットワーク環境が整っている現代では情報を得ることは簡単です。
でも、簡単に得られる情報はそれまでの情報だということです。その情報を鵜呑みにせず、しっかり根拠を確認しなければならないと思います。
今回の視察でネット上では得られない、現場だからこそ知ることができた情報が沢山ありました。自分の移動距離と情報の価値は比例関係にあると思います。今後も現地を観ることを大切にして活動を続けていきます。
東日本大震災で被災した地域を訪問したら、またお知らせします。