はじめまして。間瀬友浩です。
実は、脱サラして平成26年3月に東海市議会議員選挙に立候補しました。
732票をいただきましたが、残念ながら闘いに敗れました。
分かってはいましたが、結果が判明して、やはり落ち込みました。
今では、貴重な経験をすることができて良かったと思っています。
そこで、
とお困りの方に向けた内容です。
当選するには少なくともここでお伝えする3つの壁を乗り越えなければなりません。
それでは、以下にその壁を乗り越える方法を説明していきます。
壁(その1)|立候補
何をするために議員になるのか?
今、みていただいているということは日本やお住まいの地域のことで問題意識を持っている方、もしくは今までに何か辛い経験をされて、同じ目に合う人を1人でも減らしたいと考えている方だと思います。
その問題について、まず家族や友人に話してみてください。話していくことで、その思いの厚みや熱さが増していきます。
厚みや熱さが増すことで信念を持つことができます。
信念があれば様々な困難を乗り越えられます。
参考|私の場合
私の経歴に少し触れます
私は5歳のときに東海市名和町の三ツ屋地域に引っ越してきて以来35年間、住み続けています。
葵名和幼稚園・緑陽小学校・名和中学校・東海南高校・大同工業大学工学部電気科を卒業し、航空機業界で三次元CADを使った開発業務や技術を身に付けたいと入社された、新卒や中途入社員の教育を行っていました。
劣等感に苦しんだ学生時代
私は第2次ベビーブームに産まれました。
そのため競争相手が多く高校受験で第一希望校を落第しました。ここから劣等感を感じ始めます。
そして大学受験でも落第の連発、さらに就職活動では就職氷河期だったため内定をなかなかもらえず、劣等感にさいなまれる学生時代を過ごしました。
当時は本当に息苦しく、こんなに苦しむのは社会のせいだと思っていた頃もありました。今思えば視野が狭く、自分勝手な責任転嫁をしていたなあと思います。
幼い頃は極度の引っ込み思案でした
私は表立つことがとても嫌で、そういうことを極力、避けていました。
親戚から遊びにおいでと言われて、親戚宅に着いても玄関のチャイムを押せないほど対人不安でした。
独眼竜政宗を観て強い衝撃を受けました
幼い頃、疱瘡にかかって右目を失明し、人前に出ることを恥じていたため周囲から行く末を案じられていました。
そんな子供だった伊達政宗公が時代の権力者と渡り合って道を切り開いていく、猛々しい武将になっていきました。
こんな引っ込み思案な自分も変われるのではないかと、とても強い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
諸葛亮孔明を知って焦りを覚えました
国を守るために激務を重ね、54歳で亡くなります。
そんな生き様を観て、命懸けになれることがあるのはすごいことだと思いました。
同時に、自分には命懸けになれることが何もなく、毎日を過ごしていることに焦りを覚えました。
ある市長さんが憂いていました
今だけ・自分だけ・お金だけ、こういう考えの人が増えてしまったから日本は衰退途上国になっている。
今のままだと、どんどん衰退していく、と大変憂いていました。
密かな政治家への思い
日本や住んでいる地域には様々な問題があります。その問題を自分なりに考えた結果、全て教育に行き着きました。
日本や地域を少しでもより良くして子供達に引き継ぎたい。その目的を実現するには議員になることが最適だと考えました。でもずっと思っていただけで何も行動していませんでした。
思い切って行動しました
それから十数年が経過し、だんだん政治家に対する思いが大きくなっていきました。
このままではいけないと、思い切って会社を退職して政治の世界に飛び込もうと思いました。そんな最中、機会があり東海市議会議員選挙に立候補しました。なかには立候補を抑えられることもあるという話を聞きたことがありますが、私は恵まれた状況だったと思います。
もし順風満帆な学生時代を過ごし、有名な企業に勤めていたら、政治家になって地域をより良くしたいと考えることは絶対になかったと思います。あの苦しんだ学生時代があったから今の自分があると思えています。
様々な経験を活かせるのが政治家です。皆さんもどんどん挑戦してともに日本、地域をより良くしていきましょう。
強力な支援者は何人いるのか?
どれだけの支援者がいるのかが重要です。
大前提として家族の理解は必須です。家族の理解を得られていない人は誰も助けてくれません。
そのうえで家族以外の強力な支援者を5名以上にしてください。とは言え、5名という人数は難しいと思いますので、何度も話して支援者を1人でも多くしてください。話していくうちに支援者になってくれます。
市外の支援者も必要です。政治塾などに通って近隣市町村の議員の方々との関係も築いてください。ご縁が築ければ選挙期間中の応援や、その議員の支援者のなかで該当する有権者を紹介していただけるかもしれません。
この支援者の方々の信用をお借りして、当選後の自分を信頼していただく訳ですから、受けた御恩を生涯忘れないでください。
参考|私の場合
私は結婚する前、いつか議員になって地域をより良くしたいと妻に伝えていました。
それにも関わらず、本当に立候補する前は東の空が明るくなるまで話し合い、何とか妻に納得してもらいました。
そして友人に話すと私の想いは理解してくれましたが、当選は無理という反応がほとんどでした。
東海市に代々、住んでいない
商売をしていない
支持基盤がない
言われた通りです。引っ越してきたので東海市に縁もゆかりもない、よそ者でした。間瀬という苗字なので「地の人じゃないだろ?」と言われたことがあります。地域には代々住んでいる方々がいらっしゃるので苗字で判断できます。
普通のサラリーマン家庭育ちで経済的に恵まれていた訳でもなく、また親族に政治家は1人も居ません。
私も元サラリーマンで夜遅く帰宅して翌朝、職場に出かけるという生活をしていたので地域とのつながりは全くありませんでした。
よく言われる地盤・看板・鞄(支持母体・知名度・お金)のうち何一つ持っていませんでした。
結局、市内の支援者は3名で、市外の支援者はいませんでした。
どのような立候補をするのか?
今、読んでいただいている方は支持基盤がない立候補を考えている方だと思います。
まず、地域ごとで党勢が強い派閥(ほとんどは自由民主党だと思います)の県議会議員の方に相談してください。市議会議員とのつながりが強い、その県議会議員の方を通して地域の政治情勢をしっかりと把握してください。
そして立候補することについて背中を押してもらえれば御の字です。
もし同じ地域の議員の方が勇退されるのであれば地盤を引き継ぐ後継者として地域から推された立候補、もしくは市全体で活動していく立候補をしてください。
様々な勇気が必要ですが、行動あるのみです。
同じ地域に議員が居ると当選することが難しいです。なぜなら、地域(町内会・自治会など)の支持を得ているからです。
またその議員と年齢が近いと、当選はさらに難しいです。
だったら議員の空白地域から立候補しようと考えるかもしれませんが、地域を変えてもその地域に認めてもらえるまでに時間がかかります。
このような理由で相談した方に止められたら立候補することを考え直したほうがいいかもしれません。
でも考え直したうえでの挑戦もいいと思います。選挙でお金を使うことによる家計的な辛さ、また落選による精神的な辛さがありますが、その苦難を乗り越えて次に活かせることがあると思います。
なかなか直接、お会いすることはできないと思います。せめて挨拶の手紙を事務所の方に渡す、もしくは郵便受へ投函することはしてください。物事の筋を通すことや順序を守ることが非常に重要です。
議員の連絡先や議長・会派長などの情報は市議会ホームページに公表されています。
参考|私の場合
今から約15年前にご縁があって、県議会議員の方とお会いすることができました。そのため政治情勢を少しは把握できていました。
地域に現職の方がいらっしゃったので地域の推しがない、市全体の活動を意識(地域の支持がないので市全体で活動していかないと当選は難しい)して、自分にしかないことを同級生、そして同世代に向けて訴えていく活動を行いしました。
壁(その2)|後援会設立
後援会をどのように設立するのか?
政治活動を行うために、お住まいの県庁舎にある選挙管理委員会に政治団体設立届と団体の会則を提出してください。
提出する書式や書き方は○○都道府県 政治団体設立届と検索してください。県の選挙管理委員会にその他の政治団体設立届と団体の会則を提出します。(愛知県の政治団体の届出参考)
政治団体名は○○○○後援会が多いですが、自由です。
政治団体の代表者、会計責任者が必要です。兼任はできません。
参考|私の場合
どういう団体なのか分かりやすくするために、政治団体名はませ友浩後援会としました。代表者は私、会計責任者は妻としています。
どのように後援会組織を作るのか?
元町内会長・自治会長や自営業の方々に後援会長を務めていただけると顔が広がっていきます。
そしてその支援者の方々にどんどん引き回し(支援者の知り合いの方々に会わせていただく)をしていただきます。このように、ご縁をいただいた方を通して水面の波紋が広がるようにご縁がどんどん広がっていきます。
そうしていくなかで、こうしよう、ああしようと考えが出てきて後援会活動の良い循環が生まれます。
参考|私の場合
後援会の活動ができたのは3カ月間ほどでした。
その間に後援会活動で必要な名刺、入会ちらし、立看板などの作成することで時間に追われていました。そのため、ご縁が広がるような後援会活動が全くできませんでした。
当時は何も分かっておらず、今思えば、遅くとも半年前から準備を始めるべきだったと思います。
どのように後援会入会リーフレットを作るのか?
政策として何を挙げるのか、悩むと思います。
そこで市議会ホームページに会議録検索ができますので議会で質問された内容を把握してください。最低でも過去3年間について把握すべきです。そうすることで地域にどんな問題があるのか知ることができます。
そのうえで自分の想いを具体的な政策に練り上げてください。自分が問題だと思っていても、すでに議会で質問されていれば赤っ恥の政策を掲げることになってしまいます。
あれもこれも書かずに3つぐらいに絞った方が良いかもしれません。
参考|私の場合
平成26年に作成した、ませ友浩後援会入会リーフレットです。自分の色を白・黒色とし、名刺・立看板・ネクタイ・選挙ポスターなど全て色を統一しました。
市長(市役所の秘書課)・国会議員(地元の事務所)・県会議員(地元の事務所)の方々に推薦のお言葉をいただけるようお願いに伺いました。
ネットでリーフレットを調べると○○をよくしますという表現がほとんどでどう良くするのかが分からないと思っていました。だから具体的に数値目標を挙げたほうが分かりやすいと考えました。
壁(その3)|選挙運動
どのように選挙事務所を用意すればいいのか?
大通りに面した駐車場がある場所が良いです。普段から地域の空き店舗の状況を把握しておいてください。ただ、そういう立地は高い経費が生じます。
告示日の2ヶ月前ぐらいには開所できるように準備を進めてください。
選挙事務所の連絡先の周知を図ってください。
事務所には訪問いただいた方への接客を始め、1名でも多く人が居るようにして、賑やかな活気がある雰囲気を作るようにしてください。事務所の雰囲気で当落が分かると言われています。
参考|私の場合
経費を抑えるために自宅を選挙事務所にしました。
立地は選挙事務所としては恵まれていない、主要道路から何本も奥に入った場所です。閑静な住宅地なので駐車場を用意することができませんでした。
開所したのは告示日から2週間前ぐらいで、事務所には常時居たのは1、2名で来客もほとんどなく閑散としていました。今、思えば落選する典型的な雰囲気だったと思います。
選挙カーはどのように準備すればいいのか?
市の選挙管理委員会主催の立候補予定者向けの説明会の会場で選挙カーの営業ちらしを頂けると思います。また、大手○○○レンタリースでも選挙カーを準備することができますが、可能な限り地元にある事業者にお願いして、ご縁をいただいたほうが良いです。
車上看板については使い捨て、使い回し、どちらを作製するのかで金額が異なります。また看板4面(前・後・左・右)のデザイン・看板の夜間照明の有無、スピーカーの数、車内で使うマイクの本数などを決める必要があります。
車種は、小回りが利く軽バンが良いです。細い道でも運転に神経を遣わずに済みます。
また、助手席や後部座席のドアガラスが全て下がる仕様が良いです。同乗者は走行中、手振りを続けます。ドアガラスが下がりきらない仕様だと腕をドアガラスの上に載せます。そのため腕の載せている部分が段々、痛くなってきます。
しっかり手振りをしているとあの立候補者の陣営は頑張っていると思われます。雨の日でもドアガラスを空けて手振りをしていると、大変なこともしっかりやってくれる立候補者だと思ってもらえます。
選挙戦の終盤になると疲れで無意識に消極性が出てしまいます。政治に無関心だという記事や報道をよく耳にしますが、住民はちゃんと見ています。疲労につながるようなことは避け、少しでも頑張りが続けられるように準備をしておくべきです。
車内のマイクは2本、必要です。車上運動員が使う運動用マイクと後続車を先に通す際に「お先にどうぞ。ご通行、ご迷惑をおかけします。ご協力ありがとうございます」など交通整備用マイクでそれぞれ使用します。
選挙が始まる前に、警察署で選挙カーの車両審査を受けなければなりません。それまでに選挙カーの準備を済ませておいてください。
選挙カーの運営計画は、
運転手・道案内人・車上運動員2名の4名を
3組/日(例えば8時~12時、12時~16時、16時~20時の3組)で
7日分を立ててください。そして計画表を選挙事務所内に貼り出しておきましょう。そうすることで空いている日程があれば、ここ入ろうかと助けていただく、きっかけになります。
あと車内に用意する物は、
水・のど飴・のぼり旗、携帯電話(通常備品)
雨合羽・傘・タオル(雨の日用)
膝掛毛布、カイロ(冬季用)です。
参考|私の場合
経費を抑えたかったのでステーションワゴンの自家用車を選挙カーとしたため、細い道では運転者の方に神経を遣わせてしまいました。
車上看板は○○産興で借りたスピーカーを設置できるように事業者へ製作をお願いしました。その業者の方には今も応援していただいています。
前にも述べましたが結局、後援会の組織を作ることができなかったため、土曜日・日曜日は友人の協力を得て何とか、ぎりぎりの人数で運動を行うことができましたが、平日は親族のみで運動を行わざるを得ませんでした。
私と妻で一日中、選挙カーに乗っていることが多く、体力的に辛い思いをさせてしまったと思います。選挙期間中、妻は夢の中でも選挙運動を行っていて、寝言でうぐいすを行っていました。
最後に
選挙が始まる告示日までに、当落は約9割は決まっていると言われています。それまでにいかに顔を広げられるかが重要です。
そして選挙期間を全力で走り抜けてください。住民の方はあなたの行動を必ず見ています。
地域や日本をより良くするために、あなたの経験が必要です。
勇気ある一歩を踏み出すと必ず強力な応援者が現れます。
日本や地域を少しでもより良くして子ども達に引き継ぐために、ともに励んで参りましょう。